57

年度選手名
1955越野通晃
1956-1957市来満洲男
1958小林経旺
1960-1961松下秀文
1962-1966沢藤光郎
1971眞鍋幹三
1972-1980佐藤文男
1981-1982江崎毅
1983-1993古久保健二
1994-的山哲也

 「57」は最近では強肩捕手の出世番号になっているが、歴史的には(一人の例外を除いて)不思議なことに投手と捕手、つまりバッテリーの番号と決まっていた。初めてこの番号をつけたのは1955年に富山商業高から入団した越野通晃投手であるが、一軍経験のないまま同年退団した。

 1956年からの2年間は市来満洲男捕手が「57」をつけたが、こちらも一軍に上がることなく翌1957年に退団した。

 1958年に「57」をつけたのは、これまでの二人とは比較にならない大物左腕投手である。実働10年間で46勝の実績をひっさげて大洋ホエールズから移籍してきた小林経旺投手だったが、近鉄では14試合に登板して0勝2敗という不本意な成績に終わり、わずか1年で現役を引退してしまった。

 1960年からの2年間は、読売から移籍してきた松下秀文内野手が「57」をつけたが、この番号をバッテリー以外の選手がつけたのは球団史上唯一のことである。松下は2年間で64試合に出場したが、打率.140とふるわず、1961年を最後に現役を引退した。

 1962年からの5年間は沢藤光郎コーチがこの番号をつけた。沢藤は1950年から8年間近鉄の主力投手として活躍し、近鉄球団の初勝利を含めて68勝をマークした好投手である。

 4年の空白期間をおいて、1971年に「57」をつけたのは同年阪神から移籍してきた眞鍋幹三捕手であるが、眞鍋は翌1972年には背番号を「51」に変えてしまった。

 1972年から9年間「57」をつけたのは、戸手商業高からテスト入団した佐藤文男投手である。佐藤は1976年に一軍デビューを果たすと翌年から2年連続して10セーブポイント以上をマーク、テスト生からはい上がったシンデレラボーイとして話題になった。

 1981年からの2年間は江崎毅投手が「57」をつけたが、こちらは2年間で一度も一軍のマウンドを踏めず、1983年には南海へ移籍している。

 1983年、太成高からドラフト6位で入団した古久保健二捕手が「57」をつけたが、古久保は1990年代のレギュラー捕手の一人として活躍、背番号を「27」に変更した1994年には最高盗塁阻止率捕手に輝いている。

 1994年には新日本製鐵広畑からドラフト4位で入団した的山哲也捕手が「57」を受け継ぎ、1997年には先輩の古久保を押しのけて最高盗塁阻止率捕手に輝いた。


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