1950年度近鉄パールス成績表
順位試合勝利敗戦引分勝率勝差
712044724.37937.5
球団別
対戦成績
毎日4151
南海5123
大映6140
阪急9110
西鉄10100
東急10100
監督藤田省三
主将加藤春雄
開幕投手黒尾重明(敗戦)
主要記録チームシーズン最低守備率.958(=パ・リーグ記録)
チームゲーム補殺25(=パ・リーグ記録)
山本靜雄二塁手ゲーム守備機会17(=パ・リーグタイ記録)
宝山省二三塁手シーズン失策43(=パ・リーグ記録)

 1949年、日本野球連盟会長・正力松太郎氏が「日本もアメリカのように2リーグ制にすべきだ」と発言、これを受けて近鉄を含む各企業がこの年の夏以降、日本野球連盟に加盟を申し込み始めた。しかし読売の球団幹部が新規加盟に反対したため、連盟は新規加盟推進派と現状維持派に分かれて対立、同年11月26日に連盟を解体することが決まった。新規加盟推進派はその日の午後、毎日新聞社で「太平洋野球連盟(パシフィック・リーグ)」を結成した。阪急、南海、大映、東急の既存4球団に、毎日、西鉄、そして近鉄(会社名「近鉄野球株式会社」)を加えた7球団でのスタートとなった。
 近鉄沿線の伊勢志摩でとれる真珠をイメージして「パールス」と名付けられた新球団は、法政大学OBの藤田省三を監督に迎え、同大学の名投手・関根潤三をはじめとする大学選手を集めてチーム作りを進めた。さらに、東急の黒尾重明、大陽の森下重好田川豊らを引き抜いて戦力の充実に努め、近鉄にとってもパ・リーグにとっても最初のシーズンを迎えることになった。
 開幕戦を黒尾の先発で落としたものの、第2戦は30歳の新人・沢藤光郎の先発でものにし、記念すべき球団初勝利を挙げた。とはいえ他チームとの戦力差はいかんともしがたく、8月以降は最下位に定着してしまった。個人では二桁勝利を挙げた沢藤(勝利数4位、奪三振2位)、黒尾(防御率8位)、それに10月14日の阪急戦でプロ野球タイ記録の5試合連続本塁打を記録した森下(本塁打2位、打点5位)の活躍以外に見るべきものはなく、守備は目を覆わんばかりの拙さであった。

打撃成績
守備 選手名 背番号 投打 試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 打率(順位)
標準的オーダー
() 田川豊 26 右右 107 410 115 6 29 24 .280 (20)
()遊 山本靜雄 9 右左 104 374 86 4 27 8 .230 (40)
() 加藤春雄 27 右右 95 339 88 8 42 12 .260 (29)
() 森下重好 22 右右 118 461 134 30 93 6 .291 (12)
() 加藤政一 5 左左 105 380 91 11 52 2 .239 (34)
() 宝山省二 12 右右 113 407 93 2 33 8 .229 (41)
() 宍戸善次郎 2 右右 58 166 38 1 14 1 .229
() 芳村ー夫 8 右右 77 209 37 4 14 2 .177
()一 関根潤三 19 左左 63 129 32 4 21 1 .248
主要交代要員
( 島方金則 6 右右 73 199 41 3 18 1 .206
( 伊藤利夫 23 右右 72 188 51 1 19 9 .271
チーム成績 120 4081 987 86 428 94 .242 (7)

投手成績
選手名 背番号 投打 登板 勝利 敗戦 投球回 被安打 与四球 奪三振 自責点 防御率(順位)
先発投手陣
沢藤光郎 17 右右 50 18 19 301 2/3 292 83 164 124 3.70 (18)
黒尾重明 18 右右 41 12 21 263 2/3 248 62 69 98 3.34 (8)
五井孝蔵 15 右右 37 8 15 224 224 99 86 96 3.86 (19)
関根潤三 19 左左 26 4 12 148 185 53 69 90 5.47 (25)
チーム成績 120 44 72 1064 2/3 1076 331 418 456 3.85 (5)

捕手成績
選手名 背番号 投打 試合
芳村ー夫 8 右右 77
チーム成績 120


                   
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