34

年度選手名
1953-1958君野健一
1959-1960岸輝男
1961-1966越智靖朗
1967-1969矢島勝彦
1970-1974西村俊二
1975-1989村田辰美
1990-1995木下文信
1996-1998中島輝士
1999-面出哲志

 「34」は、国鉄の400勝投手・金田正一のイメージから、今では左腕エースの番号として知られるようになったが、かつてはそれほど注目を浴びる番号ではなかった。初代「34」は、瀬田高から1953年に入団した君野健一がつけた。君野は1955年にウェスタン・リーグの初代打点王に輝き、翌1956年からの2年間、準レギュラー一塁手として一軍で活躍した。

 君野の引退と入れ替わりで「34」を受け取ったのは、埼玉県立大宮高出身の岸輝男外野手である。岸は入団1年目の1958年には「42」をつけていたが、高卒ルーキーながら一軍で25試合に出場して7安打を放った活躍が評価され、翌年「34」を勝ち取った。しかし背番号変更後は代打で1試合に出場しただけに終わり、1960年に退団した。

 1961年からの6年間は越智靖朗捕手が「34」をつけた。越智は新居浜工業高から1961年に近鉄入りし、高卒ルーキーながら4試合にマスクをかぶった。しかし2年目以降は伸び悩み、1964年に代打で一度登場しただけで1966年に退団した。

 「34」は、1967年に日産自動車から即戦力内野手として入団した矢島勝彦に受け継がれた。矢島は3年間、一軍の控え遊撃手または二塁手として活躍したが、打撃に難があったためレギュラーにはなれず、1969年に引退した。

 矢島が引退した1969年、河合楽器からドラフト3位で西村俊二内野手が入団した。西村は矢島と同じ即戦力の期待を受けた内野手だったため、背番号も同じ「34」を受け継いだ。入団3年目までは矢島と大差ない成績にとどまっていた西村だが、4年目の1973年についに遊撃手のレギュラーポジションを獲得し、1975年には「28」に昇格した。

 左腕エースのイメージの強い「34」が、近鉄史上初めて投手に与えられたのは1975年である。三菱自動車川崎からドラフト2位で入団した変則左腕の村田辰美投手は、1978年に救援投手として一軍に定着すると、翌1979年は先発の柱の一人として初優勝に貢献、以後1989年までに通算85勝をマークした。近鉄史上もっとも活躍した「34」選手と言ってよいだろう。

 1990年に村田が横浜大洋へ移籍すると、「34」は同じ左腕投手の木下文信に受け継がれた。木下は前年まで「41」をつけて中継ぎとして活躍していたが、背番号変更後もそれまでと変わらぬ活躍を続けた。

 木下は1995年のオフに交換トレードでヤクルトへ移籍し、日本ハムを解雇されてウェーバーで近鉄へ移籍してきた中島輝士外野手が入れ替わりで「34」をつけた。中島は日本ハム時代に史上2人目のデビュー戦サヨナラ本塁打を放ったほどの打者であるが、近鉄では移籍1年目に42試合に出場しただけで2年目以降は一軍出場のないまま引退、1999年には二軍コーチに就任した。

 中島の引退後、「34」は再び左腕投手に受け継がれた。1998年のドラフト4位、三菱重工三原から入団した面出哲志投手は、今後期待の若手左腕である。


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