77

年度選手名
1976-1978高岸佳宏
1979加藤良治
1980-1981山本一義
1983テリーリー
1985-1990中西太
1992-1994今津光男
1995米田哲也
1996-1999有田修三
2000-山下千春

 「77」は比較的新しい背番号で、コーチがつけることが多い。この番号をつけて一軍の試合に出場した選手はたった1人しかいない。初代「77」は1976年に社高から入団した高岸佳宏捕手で、1978年までの3年間在籍したが、一度も一軍には上がれなかった。

 1979年には九州産業高から加藤良治内野手が入団して「77」をつけたが、一軍の試合に出場することなく翌1980年には「48」へ昇格した。

 1980年からの2年間は、広島東洋から移籍してきた山本一義コーチが「77」をつけた。山本は現役時代ベストナインに2度選ばれた名外野手で、1982年にロッテの監督に招聘され、近鉄を去った。

 1983年に「77」をつけたのは、シーズン途中で米国AAA級から移籍してきたテリーリー内野手である。テリーリーはわずか44試合の出場で打率.319、10本塁打を放つ活躍を見せたが、オフの契約更改で金銭面の折り合いがつかなかったため、わずか半年で退団した。

 1985年からの6年間は、西鉄時代に豪快な本塁打を連発して「怪童」と呼ばれた中西太コーチが「77」をつけた。中西は西鉄、日本ハム、阪神で監督経験があり、近鉄でも1989年から2年間ヘッドコーチとして活躍、1989年にはチームをリーグ優勝に導いた。

 1992年からの3年間は今津光男コーチが「77」をつけた。今津はプロ入りした1957年にウェスタン・リーグの最優秀防御率投手に輝いたものの、翌年には俊足を生かすために野手に転向し、主に遊撃手として華麗な守備で活躍した小兵選手である。

 1995年に「77」をつけたのは、選手兼コーチだった1977年以来18年ぶりに近鉄へ復帰した米田哲也コーチである。しかし近鉄はこの年最下位に終わり、監督の交代に伴って米田も近鉄を去った。

 1996年からは、かつて近鉄で名捕手として活躍し、引退後は阪神のコーチをつとめていた有田修三コーチが「77」をつけた。有田はバッテリー・コーチとして4年間佐々木恭介監督を支えたが、監督の交代に伴って退団した。

 2000年から「77」をつけているのは、前年まで「99」をつけていた山下千春トレーニング・コーチである。1999年ドラフト9位の新人・吉川勝成投手が「99」を熱望したことに伴う背番号変更だった。


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