
仰木彬
Akira Ohgi
- 生年月日:
- 1935年4月29日
- 所属歴:
- 東筑高→西鉄ライオンズ(1954-1967)
- 監督歴:
- 近鉄バファローズ(1988-1992)→オリックス・ブルーウェーブ(1994-)
- 身長:
- 170 cm
- 体重:
- 67 kg
- 利き腕:
- 右投げ右打ち
- 守備位置:
- 二塁手
- リーダー:
- 最高守備率二塁手(1958,1960-1961)
- 表彰:
- ベストナイン(1960=二塁手);正力松太郎賞(1996)
- 主要記録:
- ゲーム安打6(1955=パ・リーグ記録)
- オールスターゲーム出場:
- 1961(1961=ファン選抜)
- オールスターゲーム出場(監督):
- 1990,1996-1997
- オールスターゲーム出場(コーチ):
- 1976,1989,1991-1992,1994-1995,1998-1999
- 優勝監督(日本シリーズ勝敗):
- 1989●,1995●,1996○
- コメント:
- 高校3年の夏、四番・エースで甲子園に出場したが、初戦で浪華商業高に完封負けした。1954年に西鉄に入団してまもなく二塁手に転向し、高卒ルーキーでレギュラー・ポジションを獲得した。その後1960年にベストナインに選ばれ、1961年にはオールスターゲームにも出場した。1968年に現役を引退してコーチとなり、1970年には西鉄時代の監督・三原脩監督率いる近鉄のコーチに就任した。以後18年間近鉄でコーチを続け、1986年からの2年間は岡本伊三美監督のもとでヘッドコーチをつとめた。そして1988年に監督に就任し、絶妙な選手起用で前年最下位のチームを優勝争いに導いた。この年は10月19日のロッテとの最終戦で引き分けて優勝を逃したものの、翌1989年にはオリックス、西武との三つどもえの優勝争いを制して9年ぶりのリーグ優勝を果たした。しかし日本シリーズでは読売に3連勝した後で4連敗し、あと一歩のところで悲願の日本一を逃した。1991年には球団史上最多の77勝を挙げたが2位に終わり、翌1992年、就任以来5年連続のAクラスを確保したものの、またしても悲願の優勝を逃したため、退団して解説者に転じた。1994年からオリックスの監督に就任し、二軍から抜擢した鈴木一朗外野手の登録名を「イチロー」に変えて起用、史上初のシーズン200安打達成に貢献した。翌1995年にはオールスター前にマジックを点灯させる圧倒的な強さでリーグ優勝を果たしたが、日本シリーズではヤクルトに完敗した。しかし1996年にリーグ2連覇を果たすと日本シリーズでは読売を一蹴、3度目の挑戦で初めて日本一に輝いた。
| 打撃成績 |
| 年度 |
守備 |
試合 |
打数 |
安打 |
本塁打 |
打点 |
盗塁 |
打率 |
| 通算14年 |
二 |
1328 |
3501 |
800 |
70 |
326 |
116 |
.229 |
|
| 監督成績 |
| 年度 |
背番号 |
試合 |
勝利 |
敗戦 |
引分 |
勝率(順位) |
| 1988 |
71 |
130 |
74 |
52 |
4 |
.587 |
(2) |
| 1989 |
71 |
130 |
71 |
54 |
5 |
.568 |
(1) |
| 1990 |
71 |
130 |
67 |
60 |
3 |
.528 |
(3) |
| 1991 |
71 |
130 |
77 |
48 |
5 |
.616 |
(2) |
| 1992 |
71 |
130 |
74 |
50 |
6 |
.597 |
(2) |
|
| 合計5年 |
650 |
363 |
264 |
23 |
.579 |
|
| 通算11年 |
1445 |
792 |
612 |
41 |
.564 |
|
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