11

年度選手名
1950-1951室川光男
1952-1958山田清三郎
1959平井三郎
1960-1962江崎照雄
1963-1967伊藤幸男
1968-1971山田勝国
1972芝池博明
1973-1975市橋秀彦
1977米田哲也
1978渡辺麿史
1979-1982香川正人
1983-1988谷宏明
1989吉井理人
1990-1994野茂英雄
1997-大塚晶文

 「11」は十番台の一番最初、つまり最高の投手に与えられる番号と考えられ、実際に日本プロ野球史上でも数々の「11」がエースとして活躍してきた。しかしながら近鉄では球団創設以来10年間、投手が「11」をつけたことは一度もなかった。初代「11」は球団創設と同時に法政大から入団した室川光男捕手で、実働2年間で41試合に出場したが、打力が弱いためにレギュラーになれず、まもなく退団した。

 1952年から「11」を引き継いだのは、鳴尾高から近鉄入りした山田清三郎捕手で、高卒ルーキーでいきなり43試合にマスクをかぶるなど活躍、1958年に引退するまで274試合に出場した。

 1959年には千葉茂新監督の招きで就任した平井三郎コーチが「11」をつけた。平井は1950年代前半に読売などでレギュラー遊撃手として活躍、通算988安打を放っている。

 平井は1960年から背番号を「1」に変更し、新たに毎日大映から移籍してきた江崎照雄投手が「11」をつけた。球団史上初の「11」投手である。江崎は移籍1年目に規定投球回に到達して6勝をマーク、2年目も48試合に登板するなど主力として活躍した。

 江崎は1962年のオフにトレードで中日へと去り、「11」は伊藤幸男投手へと受け継がれた。前年まで「62」をつけていた伊藤は、毎年中継ぎとして活躍、1967年までに9勝を挙げたが、1968年には阪神へと移籍した。

 1968年には、前年まで「38」をつけていた山田勝国外野手が「11」に昇格し、期待に応えてレギュラーの座を勝ち取った。

 1971年のオフに山田がトレードでヤクルトへ移籍すると、「11」は芝池博明投手に受け継がれた。救援投手・芝池は、「23」をつけていた前年と合わせて2年連続の40試合登板を果たし、チームの守護神として活躍したが、1972年のオフには金銭トレードで太平洋クラブへと去った。

 1973年のシーズン途中、市橋秀彦投手が「13」からの背番号変更で「11」をつけた。市橋は1970年のドラフト1位で九州工業高から近鉄入りしたが、入団以来3年目まで一軍登板0と期待を裏切ったため、気分を一新するために背番号を変えた。しかしその後も結果を残せず、1974年に1試合に登板しただけで、1976年に野手として日本ハムへ移籍した。

 1977年に「11」をつけたのは、かつての阪急の大エース・米田哲也投手兼コーチである。米田は12試合に登板して2勝2敗の成績を残し、実働22年間で通算949試合登板のプロ野球新記録をうち立てたが、同年現役を引退した。

 1978年には、日鉱佐賀関からドラフト4位で近鉄入りした渡辺麿史投手が「11」をつけた。しかし1年目一軍登板0と、即戦力としての期待に応えられなかったため、翌年には「35」に降格されてしまった。

 1979年からの4年間は、三菱重工神戸から即戦力としてドラフト5位で入団した香川正人投手が「11」をつけた。香川正人は、1954年から2年間近鉄でプレーした香川正外野手の息子である。香川は1年目こそ無傷の5勝2セーブと期待に応えたが、2年目以降は一軍で登板することができず、1983年に横浜大洋へ移籍、同年引退した。

 1983年から「11」をつけたのは、前年「53」をつけて11勝をマークしていた谷宏明投手である。谷は1983年の開幕投手にも指名され、1988年のオフにヤクルトへ移籍するまでに通算36勝を記録した。

 1989年には、前年「36」をつけて最優秀救援投手に輝いた吉井理人投手が「11」へ昇格した。吉井は1989年にも25セーブポイントを挙げてチームのリーグ優勝に大きく貢献した。

 1990年から5年間「11」をつけたのは、1989年のドラフト会議で史上空前の8球団から指名を受け、抽選の結果、近鉄への入団が決まった野茂英雄投手である。近鉄球団はアマチュア球界最高の評価を受けた野茂投手にエースナンバー「11」を用意し、前年「11」へ昇格したばかりだった吉井投手の背番号を「21」に変更した。野茂は1年目から投手部門のタイトルをほぼ独占し、4年連続の最多勝利投手・最多奪三振投手に輝くなど、期待に違わぬ大活躍を見せた。しかし1995年には契約更改交渉のこじれから近鉄を退団して大リーグへ移籍した。

 大投手・野茂の影が色濃く残る「11」は、以後2年間空き番号となっていたが、1997年になって日本通運からドラフト2位で入団した大塚晶文投手へと受け継がれた。大塚は1年目から救援投手として大活躍し、野茂を上回る三振奪取率を記録、みごとにその後継者の座におさまった。そして1998年にはパ・リーグ新記録の35セーブをマークするなど、以後球界を代表するストッパーとして活躍している。


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