48

年度選手名
1953-1957細溝久男
1958西野叡治
1959-1965江渡辰郎
1967-1970矢野昭良(矢野晃)
1971雨宮捷年
1973村越稔
1974-1979酒井増夫
1980加藤良治
1981-1984依田栄二
1985-1990吉田剛
1991-1994柴田佳主也
1995パウエル
1996-1999武藤孝司
2000-岩隈久志

 「48」は最近こそ中継ぎ投手と俊足内野手の出世番号になっているが、かつてはなかなか活躍できない不遇の番号であった。この番号を最初につけたのは、1953年に橋本高から入団した細溝久男捕手であるが、実働2年間で8試合に出場しただけで1957年に退団した。

 翌1958年に「48」をつけたのは、前年「58」で近鉄入りした南部高出身の西野叡治投手であったが、彼も2年間の現役生活で一度も一軍のマウンドを踏むことなく球界を去る。

 1959年からは兵庫県立尼崎高出身の江渡辰郎投手が「48」をつけたが、彼もまた一軍で活躍することはできず、1963年にただ一度、外野手としてメンバー表に名を連ねただけに終わった。

 1967年から4年間「48」をつけたのは、久保征弘投手との交換トレードで中日から移籍してきた矢野晃(のち昭良)投手であるが、移籍1年目に先発を含む4試合に登板して1敗しただけで、以後は一度も登板の機会がなかった。

 1971年には、前年まで3年間「28」をつけながらたった5試合にしか出場できずにいた雨宮捷年選手が、背番号降格という形で「48」をつけたものの、やはり出場機会のないまま同年退団した。

 1973年にはヤクルトから移籍してきた村越稔内野手が「48」をつけたものの、これまた出場機会のないまま同年退団した。

 1974年からの6年間は、八幡浜工業高出身のドラフト5位ルーキー・酒井増夫投手が「48」をつけた。しかし彼も、6年間で一度も一軍のマウンドを踏めずに球界を去った。

 1980年に「48」をつけたのは、前年「77」で近鉄入りした九州産業高出身の加藤良治内野手であったが、彼も2年間の現役生活で一度も一軍の試合に出場することはできなかった。

 1981年から4年間「48」をつけた甲府商業高出身のドラフト4位・依田栄二投手も、入団1年目に1試合登板しただけで、1985年から打撃投手に転向した。

 初めて一流選手に成長した「48」は、取手第二高での全国制覇を手みやげに1984年のドラフト2位で近鉄入りした吉田剛内野手である。「48」をつけていた時代はまだ控え選手だったが、「0」をもらった1991年から遊撃手のレギュラーとして大いに活躍した。

 吉田に続く「48」は、阿部企業からドラフト4位で近鉄入りした変則左腕・柴田佳主也投手である。柴田は「48」をつけていた4年間、一度も一軍で投げることはできなかったが、「62」へと降格された1995年に一軍デビューを果たし、1997年以降は貴重なワンポイント左腕としてフル回転、1999年にはついに主力級の背番号「13」を獲得した。

 1995年、大リーグ通算207試合登板という期待の助っ人左腕・パウエルが来日して「48」をつけたが、2勝7敗3セーブという不本意な成績に終わり、わずか1年で解雇された。

 パウエルの退団した1995年秋、創価大からドラフト3位で近鉄入りした俊足巧打の武藤孝司内野手は、吉田の後継者になることを期待されて「48」をつけた。武藤は入団2年目から遊撃手のレギュラーとなり、1998年にはオールスターゲームにも出場、近鉄史上、「48」をつけてレギュラーポジションを獲得した初めての選手となった。


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