60

年度選手名
1955-1957青池良正
1958-1959山本靜雄
1960-1961新田恭一
1962-1966根本陸夫
1967保井浩一
1968-1971本堂安次
1972-1973広田順
1974-1985中西邦之
1986-1987小崎武司
1988-1993中谷忠己
1994-1998大村直之
1999-藤ア紘範

 「60」は大きいけれども区切りのよい番号であるから、有力コーチや期待の若手選手がつけることが多い。初代「60」は、1950年からの3年間で150試合にマスクをかぶった青池良正捕手が、引退後の1955年から3年間、コーチとして身につけた。

 1958年から「60」をつけたのは、前年まで名二塁手として活躍していた山本靜雄コーチであるが、山本は翌1959年の4月に急逝した。

 1960年からは「新田理論」で知られる元松竹監督の新田恭一ヘッドコーチが「60」をつけたが、1961年、千葉茂監督の退陣に伴って新田も退団した。

 1962年から5年間「60」をつけた根本陸夫コーチは、1952年から実働4年間で185試合にマスクをかぶった元近鉄の捕手で、近鉄退団後は広島東洋、クラウンライター、西武、福岡ダイエーの監督を歴任した。

 1967年には、前年まで「70」をつけていた保井浩一コーチ(元東映監督)が「60」をつけたが、同年オフに三原脩監督の就任が決まると近鉄を去った。

 1968年から4年間「60」をつけた本堂安次コーチは、かつて阪神や毎日で名二塁手として活躍し、1963年からの3年間は毎日大映、東京の監督もつとめていた。

 1972年からの2年間は、前年「30」をつけて入団した広田順コーチ(1972年は二軍監督。現役時代は読売で捕手として活躍)が「60」をつけた。

 1974年に西本幸雄監督が就任すると、毎日大映時代の教え子でもある中西邦之コーチがロッテから招かれ、1985年までの12年間「60」をつけた。中西は現役時代「勝己」の名で活躍し、307試合に登板して72勝を挙げた好投手である。

 1986年に初めて現役選手が「60」をつけた。八尾東高出身の小崎武司捕手であるが、2年間の現役生活で一度も一軍の試合に出場することはできなかった。

 1988年6月、久保康生投手との交換トレードで阪神から移籍してきた中谷忠己外野手が「60」をつけ、代打の切り札として活躍、1993年までの6年間に97安打50打点、打率.291というすばらしい成績を残した。

 中谷が自由契約となってオリックスへ移籍した1993年オフ、育英高で全国制覇を経験した大村直之外野手がドラフト3位で入団し、「60」を受け継いだ。大村は1年目にウェスタン・リーグで盗塁王を獲得し、2年目には一軍のレギュラー・ポジションをつかんだ。そしてベストナインに輝いた1998年のオフに、念願の背番号「7」を勝ち取った。

 1999年から「60」をつけているのは、宮崎第一高からドラフト5位で入団した藤ア紘範投手で、1年目の5月に早くも一軍デビューを果たすなど期待以上の活躍を見せている。


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